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大阪高等裁判所 昭和39年(う)488号 判決 1966年6月29日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

論旨は、事実誤認をいい、要するに、被告人には本件医療行為につき過失はないと主張するのである。

しかし原審において取り調べた総ての証拠および当審における事実取調べの結果を総合すれば、被告人は本件発生当時(昭和三一年四月ころ)、ストロンチューム九〇によるベーター線外面照射治療は開拓途上にあって、その適応症の範囲およびその症状に応じた照射線量の程度については臨床医学的にもなんら見るべき研究成果がなく、被告人においても、本件表在性皮膚疾患に対して右照射治療をするにあたって、その方法に関する経験もなく、かつ十分な知識もなかったのであるから、その施用については医師として、当然ベーター線照射の皮膚におよぼす影響など十分研究のうえ、細心の注意を払って治療すべき業務上の注意義務があるにもかかわらず、漫然、これを怠り、原判示の顔面毛細血管拡張症患者中野栄、同田中久子、顔面および右側頸部血管腫患者大坪一次および顔面眼上顎部、右頬、頸部黒褐色色素性母斑患者内田芳子に対して、右ストロンチウム九〇によるベーター線照射治療をするに際し、照射線量の過大な、いわゆる過照射治療をして同人らにそれぞれ原判示のような傷害を負わせた過失を認めることができる。

所論は、まず、本件過失の前提である被告人の能力について、被告人は有能な医師であって、日本放射性同位元素協会主催の第六回放射性同位元素講習会において受講しベーター線ならびに同照射治療方法に関する知識と経験を十分有していたというのであるけれども(証拠略)によれば、(中略)事件発生当時(昭和三一年四月ころ)被告人のストロンチューム九〇によるベーター線照射治療の知識は不十分、経験は皆無であったことが明らかである。(中略)更に、所論指摘の本件発生当時(昭和三一年四月ころ)におけるストロンチューム九〇によるベーター線外面照射治療の普及程度、適応症の範囲、感受性の有無、照射線量などに関する研究状況についてみるに、(証拠判示略)に徴すると、ベーター線の外面照射治療が行われ始めたのは、一九〇〇年ころからであり、ラジュームに含有するベーター線を対象としたものであったこと、エネルギーの大部分が真皮浅層に吸収せられ深部に到達しない特徴を有するベーター線専用の照射治療は、一九四〇年初ころアメリカのカリフォルニヤ大学ローベアー教授によって放射性燐(P・32)が使われて現在にいたっており、ストロンチューム九〇(Sr・90)によるベーター線の照射治療は、一九四八年ころから行われていること、わが国においては、従来ラジュウム、放射性燐(P・32)によるベーター線の外面照射治療が行われていたのであるが、ストロンチューム九〇によるベーター線の外面照射治療は、昭和二八年ころ、当時の慶応義塾大学助教授山下久雄博士によってその発生源器を輸入して臨床医学に使用したのを始めとして、昭和三〇年ころには、東京大学宮川教授が、Sr・90のべーター線発生源器を試作して実験し、これを臨床医学に使用していた程度であって、本件発生の昭和三一年四月ころには、京都大学、大阪大学、東北大学など著名な研究室においてさえこれがない状態であり、極めて初期の段階にありその開拓途上にあったことが認められる。

そして、右のベーター線を強力に用いれば原疾患は宗全に破壊せられ消失するけれども、そうすれば、健常皮膚に放射線障害を残すのみならず、照射のあとに瘢痕化、色素沈着又は脱失等の醜形を残し整容的治療としての目的に反する結果となり、しかも、一年ないし数年を経て顕著となる晩発生障害を残すおそれのあることは当時すでに判明していたことであるから、医家はそれぞれ適応症の選択に苦心していたのであって、当時適応症については、表在性の癌腫及び血管腫(卑純性血管腫、海綿状血管腫)と色素母斑があげられていたが、皮膚の深部にある疾患および太田氏母斑については適応しないものであり、毛細血管拡張症は枝状に広がる病変であって病変部のみを選択照射することが困難であるため適応症であるか否かについて説がわかれており、血管腫についても、その大部分が自然に治癒するものであるから、施術を必要としないばあいが多く、所論のように前記三種の皮膚疾患のすべてが適応症であると考えられていたとはとうてい認められない。

また所論指摘の感受性については、昭和二八年ころ右山下博士がSr・90を使用した当時既に、その感受性には年令差や個人差があること、人体の部位、細胞組織によって感受性に強弱のあることなどはわかっていたことが明らかである。

そして所論指摘の照射線量については、P・32は弱線で長時間照射できるのに反し、Sr・90は強線で短時間照射すべきものであるから、P・32とSr・90との線の強度に差異があるが、後者については資料が少ないため、P・32の治療結果資料をSr・90の照射治療の参考に供していたことは所論のとおりであるが、P・32は疾患に応じて濃度を決め、それを患部の面積形状に合わせて切り抜き貼布することができ、かつ、弱線で長時間使用することができる利点があるが、Sr・90は、本件の発生源器でいえば、銀製容器に収容せられ、約三ミリメートルのわくがめぐらされているので、患部がその容器よりも広いときは、容器を並列させても前後左右にすき間ができて照射の結果がいわゆる市松模様の瘢痕等を残すおそれがあり、施術に不便であるうえに、強線短時間使用を原則とするから取扱に危険を伴うことは、右の療法を実施する医師として当然認識しなければならないことであり、かつ認識し得たことである。従って、Sr・90の照射線量の決定は、皮膚疾患の種類、発生部位、年令、放射線感受性の強弱、治療目的のいかんによって異なるものであって、そのいずれの場合においても分割照射の術式がとられていることが明らかである。

分割照射の場合に、一回あるいは一クールの線量、照射時間、総線量については、それぞれの専門家によって一様ではなく右山下証人は、一回の照射線量は、色素性母斑については七〇〇ないし一、〇〇〇マイクロキュウリー、一ケ月半くらいの間隔、血管腫については四〇〇マイクロキュウリー、(二五〇〇ラド)、反覆回数六回以下とし、右土屋証人は、血管腫について毎日一回くらい一回の照射線量は一〇〇ないし二五〇レツプ、照射時間は一分ないし三分くらい、一クール一〇〇〇ないし一五〇〇レップ、二ケ月ないし三ケ月ようすをみて必要があれば更に照射するが、総線量は三〇〇〇ないし五〇〇〇レップが限度であるとし、右古賀証人は、血管腫について、一回の照射線量は一〇〇〇ないし二〇〇〇ラド、一週に一回が原則であり、総線量五〇〇〇ないし八〇〇〇ラドが限度であるか、結果については、有色人種のばあいは白色人種に比べてむつかしく、美容目的の治療としては良好な結果を得がたいとし、右大森証人は、血管腫について、一回の線量は二〇〇ないし三〇〇マイクロキュウリー、一ケ月ことに照射して軽い皮膚炎を起したので、現在大人でも一〇〇マイクロキューリー、数ケ月の間隔をおいて変化のないことを確かめ照射する。総線量は一五〇〇マイクロキュウリーが限度であるとし、右筧証人は、血管腫について、一回の照射線量は一二〇ないし二四〇レップ、照射時間は三〇秒ないし一分であり、五回ないし一〇回が限度で、総線量は六〇〇ないし二四〇〇レップであるとし、右永井証人は、大人の血管腫について、一回の照射線量は一〇〇〇ないし二八〇〇ラドで、総線量は七〇〇〇ないし八〇〇〇ラドが限度である。色素性母斑については、三五〇〇までかけたが患部がかぶれ、かつ、母斑がびくともしなかったので中止したとし、右西岡証人は三〇分くらいが極度で、照射線量は五〇〇〇ラドまであるとし、以上は、いずれも、一平方センチメートルについてのものであること、一マイクロキュウリーは、被告人の使用した源器についてその証明書のとおりとすれば約一・八ラドに相当すること(当審鑑定人山下久雄の供述)が明らかである。

したがって、本件当時において一回の照射時間の限度は三〇分であり、照射線量の限度は五〇〇〇ラドであって、総線量は八〇〇〇ラドが限度であると考えられていたことを認めることができる。

これを本件について見るに、原判決挙示の対応証拠および当審における鑑定人上野賢一の鑑定結果によれば、いずれも美容を目的とする治療方法として、顔面の毛細血管拡張症患者中野栄(原判示第一)に対して、一回の照射時間六〇分ないし一二〇分、一平方センチメートル当り(以下同様)、線量九、〇〇〇ないし一八、〇〇〇ラド、前同様の患者田中久子(原判示第二)に対して、一回の照射時間六〇分、線量九、〇〇〇ラド、右側頸部の血管腫患者大坪一次(原判示第三)に対して、一回の照射時間六〇分ないし一二〇分、線量四、五〇〇ないし九、〇〇〇ラド、右頬及び頸部の黒褐色色素性母斑患者内田芳子(原判示第四)に対して、一回目の照射時間六〇分、線量九、〇〇〇ラド、二回目の照射時間同六〇分、線量四、五〇〇ラド、三回目、四回目の各照射時間四〇分ずつ、線量各三、〇〇〇ラド、総線量合計一九、五〇〇ラドの照射治療をし、右中野栄に対しては、治療約二ケ月を要する放射線皮膚炎に罹患させ、皮膚炎治癒後六一箇所にわたるいちまつ模様の瘢痕を残させ、右田中久子に対しては治療約二週間を要する放射線皮膚炎に罹患させ、皮膚炎治癒後両頬部に二十数箇所に同様の瘢痕を残させ、右大坪一次に対しては、治療約一ケ月以上を要する放射線皮膚炎に罹患させ、皮膚炎治癒後二十箇所くらいの白斑を残させ、右内田芳子に対しては治療一ケ月以上を要する放射線皮膚炎に罹患させ、皮膚炎治癒後かえって患部の皮膚萎縮、色素沈着及び無数の白斑を残させていることが認められるのであって、前記線量限度からすれば、明らかに過照射であると断じなければならない。

更に所論指摘のフイルターの使用について見るに、<証拠判示略>からみると、一般的にベーター線の照射治療にはストロンチューム九〇を含む源器に更にフィルターを使用せず源器を皮膚に密着させて治療する建前であることが明らかである。

本件被告人は捜査官の取り調べおよび原審において、アルミ板、銀紙などのフィルターを使用して照射線量の軽減を図った旨供述しているのであるけれども、(証拠判示略)結局被告人は本件治療にあたって発生源器にフィルターを使用していなかったものと断ずるの外はない。(中略)更に所論は、ハイドロキノン・モノベンジール・エステル(H・M・E)軟膏について、被告人が田中久子に対するベーター線照射治療後同女に対して右軟膏を投薬したために、同人に瘢痕を生ぜしめたものであって、ベーター線の過照射によるものではないというのであるけれども、(証拠判示略)なるほど瘢痕の生じたのは右照射治療の後に現われたものではあるが、瘢痕の主要原因は過照射にあるものと認められるのであって、右軟膏によるものとは、とうてい考えられないから、所論は採用できない。

また所論は、被告人は患者に対して本件治療行為後において患部保護の注意指示を与えたというのであるけれども、前掲中野栄、田中久子、大坪一次、内田芳子の各証人尋問調書を精査しても、被告人が本件ベーター線照射治療をした後患者たる同人らに対して患部保護につき注意指示したことを認めるに足りる証拠はない。医師の常識として日常その業務上において無意識的に各患者ごとに、これを行っていたものであると推定すべきだとする所論も採用できない。

所論は医師の過失責任について、治療行為の場合は、治療行為そのものに過失があっても、その過失が重過失である場合に限って刑事上の過失責任を負担すべきものであるというのであるけれども、業務上過失犯における過失は、業務の性質上危険を伴うことを前提とするものであるから重過失であると否とを問わないものである。したがって医師の治療行為そのものに過失のある場合は、重過失の場合に限るとする所論は独自の見解にもとずくものであって、とうてい採用できない。

そもそも毛細血管拡張症、血管腫、色素性母班などの非悪性疾患に対しては、皮膚癌のような悪性疾患と異り、美容的に治癒させることを第一の条件とすることは自明の理であり、本件の被害者たちはいずれも、その目的をもって、被告人の治療を受けたものである。したがって瘢痕、色素沈着又は脱失等の後遺症を残し、前よりも醜い傷害を与えることは医師としての任務に反するものといわなければならない。従って、放射性同位元素(アイソトープ)による治療に従事する医家は、適応症の選択及び投与線量と照射方法すなわち一回の線量、休止期間、総線量について理論的かつ経験的に慎重な研究をしていたのである。

以上の次第で、本件は被告人がストロンチューム九〇によるベーター線照射治療にあたって、十分な知識経験もなく、当時照射治療は初期研究の段階であって、臨床医学的にも見るべき研究成果もなく放射性燐の研究資料を参考にするほかなかったのであるから、医師として、これを人体に応用するに当っては、ストロンチューム九〇によるベーター線照射の皮膚に及ぼす影響など十分研究し、治療目的と合せ考え、その目的に反する放射線障害を起させないように細心の注意を払って、慎重に治療すべき業務上の注意義務がある。もとより医療の進歩は医家の創意と研究とによる新技術の発見にまたなければならないが、放射線のような危険を伴う物質による新療法を導入するに当っては、十分な知識と経験とを有すると同時に、慎重戒心し事故の発生を防止するために最善の努力をしなければならないのであって、いやしくも青年男女の顔面を実験台に供することは許されないことである。

本件は、要するに、被告人が外国の新療法を無批判に導入し、ストロンチューム九〇の性能や影響について臨床上の研究経験を積まず、発生源器輸入の直後から患者に対して施用を開始し、しかも分割照射によって反応をみながら施療を進める方式を採らず、大量の放射線照射を行い、本件被害者中野栄ほか三名に対して前記のような傷害を負わせたものであるから、被告人の本件行為は業務上過失致傷罪の刑事責任を免れることはできないものと断じなければならない。

所論は現在の医学知識をもって、昭和三一年当時の医療行為につき過失の有無を判断するのは不当であると主張するが、放射線の過照射により紅斑を生じ更に進んで乾性皮膚炎から湿性皮膚炎へ進み、その結果潰瘍を生じ、痕瘢化、色素沈着又は脱失等の後遺症を残すことは、その当時においても医師として公知の経過であり、さればこそ整容的治療を目的とする施療においては紅斑の限度において中止し、その影響の消失を待って次の施療に進むという分割方式が妥当とせられているのである。当時においても、現在においても、右のような医師の注意義務に変りはない。

その他記録を精査しても、原判決には所論のような理由のくいちがい及び事実誤認の違法はない。論旨は理由がない。<後略>(山崎薫 竹沢喜代治 浅野芳朗)

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